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陣痛

3/10の夜明けごろ
美和が私を起こして言った。

「陣痛が始まったみたい。」

それから、もう1週間がたった。

毎日歩いたり、公園でごろごろしたり、ご飯を作ったりしながら。

陣痛といっても、痛みがほとんどないらしい。
お腹が膨らむ感じ、押される感じがあるだけだと言う。
一回目のポコのときとは陣痛の質もちがう、らしい。
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野口晴哉は言う。

「出産というものは無痛でなされるものです。
それを、痛みが無いと出産出来ないように思い込んでいる人が多い為に、
出産ということが痛く、又そうであるように伝えられ、伝えられたことを鵜呑みにすることによって
痛いものになっているのです。
この痛いことに対立して無痛分娩法の工夫がなされ、
それがなされる為にいよいよ出産は痛いものという考えが強調され、
痛む出産が更に多くなっています。
しかし出産というもともと痛みとは関係が少ないもので、
出産の行われるのは運動神経の緊張と筋の収縮によるものですから、
心静かに経過をみれば、痛みというよりは収縮缶、張る感じによって経過しているものなのです。」
(『育児の本』)

痛みというものはほとんどが錯覚である、と思う。
痛い(はずだ)という思いが、痛みを作ることも多く、
緊急のことや没頭することがあれば、痛みを忘れる。

お産のような場合には、痛みというものに対する先入観や錯覚を取り除くのは大切なことのように思う。
それも自力・自宅の出産でこそ出来ることだ。

のんびりと時間が過ぎる中でゆっくりと誕生に向かっていることが感じられる。

「待つ」ことがお産にとってもっとも大切なこと、というのが一回目からのセオリーだ。

そうこうするうちに、暖かくなってきた。
それはお産にとって、とてもいいこと。

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# by genagain | 2010-03-16 22:16 | お産について

3/10の夜明けごろに美和が私を起こして言った。
「陣痛が来たみたい。」

準備を始める。

といっても、食べ物とタオルとはさみと体温計と懐中電灯くらいか?
ストップウォッチもあったほうがいいな。
布団などを汚さないためのシートも。

一階のリビングに暗幕を張って光が入らないようにした。
ここは産むことになるかもしれないし、おそらく産後しばらくは母子が生活するからだ。
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我が家は二階建ての一軒家で、普段はみな二階で寝ているが、
産む場所は一階の風呂かリビングで、と考えている。
トイレが一階にしかないし、風呂もキッチンも一階だからだ。
階段の上り下りはなるべく無いほうがいい。

光が入らないようにするのは、母も子もしばらく強い光は避けたほうがいいからだ。
生まれたばかりの赤ちゃんは、これまでお腹を通してしか光に触れたことが無い。
眼も未発達だ。光を徐々に受けながら視神経が育っていく。
母体もルチンなどを失い目が弱っている。
細かいものを読まない、特に携帯やパソコンモニターなどを見ない、強い光を見ない、ということは
眼のその後を大きく左右する。

よく「お産をすると眼が悪くいなる。」という人がいるが、それは正しくない。
お産のときに正しい処置をしないので、眼が悪くなってしまうのだ。
眼を悪くせずにお産を経過する方法はある。

まずは強い光を当てないことだ。
太陽光はもちろん、蛍光灯の光も、100wくらいの電球も強い光だ。
ろうそくの光くらいでいいのかもしれない。

日本でも戦前は一ヶ月くらい窓の無い小屋に籠もる習慣があったそうだし、
世界中の民族の中にそういう知恵があった。

現在のお産を見れば医者や介助者が見やすいようにという理由で強い光を浴びせられた中で出産する。
これは赤ちゃんの精神面にもよくない。
生まれ出るときに大きなショックを受ける。
まぶしい中に引きずり出されては、恐怖体験になってしまう。
暗い静かな中にゆっくり、ひっそりと生まれ出るべきなのだ。

生まれてからもしばらくは暗い中で生活をする。
母の眼が回復し、子の眼がある程度出来上がってから徐々に光に慣れていく。
そうした配慮が本当は必要なのだ。

というわけで、窓を全部覆ったが、とたんに青空が広がる。
これまで雨が続いただけに本当はうちの中に太陽の光を思う存分入れたいところだが、仕方ない。
# by genagain | 2010-03-12 00:16 | お産について

臨月

もう臨月である。

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計算してみると3/10~20くらいに生まれそうだ。

いつ受胎したのか?なんてことはハッキリわからない。
セックスした日を覚えてなんかいない。
ずいぶんと時間がたってから、妊娠したみたい、と気づいたし
そのころは美和の生理は不規則だった。

それはまだ一番目の子に授乳していたからだ。
ホルモンのバランスで生理が押さえられるようだ。
授乳していると妊娠しないという説があるが、そうでないこともあると証明されたわけだ。

仮に受胎日がわかっても、そこから生まれるまでの時間には個人差があるはずだ。

杓子定規の計算をあてにはしないほうがいい。
子どもは子どもの都合で生まれてくるだろう。

ちょっと遅れたからといって問題になるとは思えない。
人間の子は生物学的に見れば、もっと長い間子宮の中にいるべきとの説もある。
子どもと母体を信じて待てばいいと思う。

早く生まれてしまって準備ができていなければ大変だが。

さあ、準備を整えよう。

美和はすっかりリラックスして、何の恐れもなさそうだ。

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# by genagain | 2010-03-01 23:50 | お産について

おはなし

ポコは絵本を読んでくれとせがむ。

ネンネ、と言うのでいっしょに布団に入ると
出て行って絵本を持ってくる。

同じ本を何度も何度も読んでくれという。

まだ単語をぽろぽろ口にするだけなのに
話は分かっているのだ。

子どもは「おはなし」を必要としている。
私も、はなしを作ってやりたい。

「世界で一番たいせつなもの」という絵本があって
それは、お姫様に求婚した王子様たちが
世界で一番たいせつなものを探し、
結局は「病気を治すりんご」を持ち帰ったものが結婚を認められると言う話なんだが、
この本をポコは「いんご」と読んでいる。

単に自分の知っているものが出てくるから覚えるのかもしれないが、
わたしは驚いた。

最初に答え言うなよ、って言われちゃうよ。

じつはわたしたちの話もしっかりと理解しているのかもしれない。
子どもができたからには、言葉遣いや日々の話の内容を恥ずかしくないものにしていきたい。
# by genagain | 2010-02-12 09:21 | 育児

おむつ

おむつ。

・・・それは間違った発明だ、とわたしは思う。

発明したこと自体は良かったのかもしれないが、使い方を間違っている。

おむつを、生まれたばかりの赤ちゃんにつける。
このときから、赤ちゃんは「おもらし」を強要される。

自分のパンツの中にうんちやおしっこをするのは気持ち悪い。
それは赤ちゃんだって同じだ。
(着けているほうからすれば、おむつだってパンツだ。)
ずっとつけられているので、しかたなくもらすしかない。
こうして排泄が、気持ち悪いもの、汚いものとして刷り込まれる。

その不快さに慣れた後で、おむつを外して「パンツ」を履かせ
「もらしちゃだめ。」という。もらすと怒る。

それで、赤ちゃんは混乱する。ひとつの拷問といってもよい。
良識あるあなたが、同じことを強要されたら耐えられるだろうか?

うんちの処理は赤ちゃんにとってつらい経験になる。
それは、社会の矛盾、大人のエゴとのはじめての遭遇かもしれない。

この経験は、排泄全般への恐怖、タブー視、ゆがみへとつながって
その後の人生に暗く影を落とす。

そして自分に子どもができても、うんちと向かい合いたくないので
すぐにおしめで覆ってしまい、なるべく手を触れずに処理しようとし
子どもが漏らしたりして、わが手を汚さざるをえなくなると、ヒステリーを起こしてしまう。

結果、その子にも、うんちの恐怖は植えつけられ、次の世代にも同じことが繰り返される・・・・。
これがうんちの悪循環である。

おおげさだろうか?

わたしは中国を旅したとき、驚いた。
田舎の便所は、扉がないのだ。
うんちする姿が外から丸見えなのだ!
これに慣れるには、さすがに時間が必要だった。
(もちろん、扉があるものもある。むしろそっちが多数派だ。)

そして、わたしは見た、中国の子どもたちのズボンを。
かの有名な「尻割れズボン」だ。
お尻が割れていて、しゃがむとそのままズボンを下ろさずにうんちもおしっこもできるのだ。
そして中国ではどこでもうんちをする。
便所は恐ろしく汚い。
この国では、うんちは開放されていたのだ。

一方、わたしの国ではおしっこの音を聞かせまいと、音を出す機械をもち歩いたりする。
近い文化を持つはずのこの二つの国の差は、いったいどこから生まれたのだろう。

この旅で、わたしは中国を抜け、チベット、ネパール、インドを回ったが
これらの国でも人々のうんちをする人間の姿がいたるところで見られた。
アジアにおいては、わたしの国の隠されたうんちは少数派なのかもしれない。
ヨーロッパや北米では、道端でうんちを見ることはほとんどなかった。


中国人すべてがところかまわずうんちをするわけではないし、トイレの扉が皆無なわけでもない。
わたしが旅したのは辺境と呼ばれる場所で、もう10年以上前のことだ。
最近いった上海では、人のうんちも、うんちする姿も見かけなかった。


ずいぶんと話がそれた。

おしめは赤ちゃんにとってメリットも合理性も皆無だ、とわたしは思う。

ポコを授かったとき、わたしたちは
「自分たちの都合を押し付けず、余計なものは与えない。」
という方針を持った。

その方針に従い
ポコにはおしめはさせたくない、と考えていた。

というわけで、おしめのない垂れ流しの生活が始まった。

(続く)
# by genagain | 2010-02-10 18:11 | 育児